浅井の娘4 竹生島3

  • 2020.07.12 Sunday
  • 11:01

 

 『近江風土記逸文』にこのような記事があります。「昔、伊吹山と姪の浅井岳が背比べをした。ところが、浅井岳が一夜にして背丈を伸ばしてしまった。怒った伊吹山は、浅井岳の首を刎ねてしまった。浅井岳の首は宙を飛び、琵琶湖にずぶずぶと音を立てて沈み、その先端が島となった。ずぶずぶ音を立てて沈んだことから[ずぶふじま=竹生島]となった。」というお話です。

 

 浅井岳は姪と記されていることから女性であり、浅井郡をつかさどる浅井姫の山です。そしてこの浅井岳がどこにあったかと言うと、諸説あって定まらないのですが、小谷城のある小谷山を浅井岳と表現した記録があることから、小谷山=浅井岳とすることもできます。

 

 湖北に君臨した京極氏を押しのけ、湖北の覇権を握った浅井氏ですが、他の湖北の地侍達を圧倒するだけの財力・武力を持っていたわけではありません。浅井氏が浅井郡の守り神である浅井岳に城を構えたから、ほかの地侍達は表面上、浅井に随った。と言う事のように思えます。

 

 浅井の主張「俺は、浅井の守り神である浅井姫様の山に入り込み、ここに城を築いたが、ピンピンしている。浅井姫様の怒りを買うこともなく、ばちも当たらない。俺は、浅井姫様と同体化することを姫様に認められたんだ。だから姫様の支配下にあるお前たちは、俺の支配を受けることと同じことだ。俺に逆らうことは姫様に逆らうことだ。従え!」

 

 浅井氏の権威の元は浅井姫、その頭が竹生島。実際、竹生島に最初に祀られたのは「浅井姫」とされています。浅井郡の琵琶湖に神秘的に浮かぶ竹生島に浅井郡の守り神が宿ると感じるのは当然の心象でしょう。

 

01神秘的に浮かぶ浅井姫の竹生島.JPG
神秘的に浮かぶ浅井姫の竹生島

 

 この地方的な女神の浅井姫が、竹生島の航路を護る神としての価値を帯びると、国家神である宗像の市杵嶋姫と同体化し、やがて、仏教が伝来すると水と命を司る弁才天女と同体化し、竹生島弁才天として、竹生島に君臨することになります。しかし、浅井郡の住人、特に郡名を冠した浅井氏にとっては、あくまでも「浅井姫」の聖地が竹生島なのです。

 

 淀殿(茶々)は、永禄十二年(1569)頃小谷城で生まれました。そして天正元年(1573)の小谷城落城まで小谷城で過ごします。幼女のころの記憶とはいえ、母お市と共に小谷城から見た竹生島の神秘的な姿は脳裏に焼き付けられていたのではないでしょうか。そして、自分は「浅井の娘」という強烈な自負心も生まれたのでしょう。その大元は浅井姫に対する信仰だったと思います。夫の長政を殺した秀吉に対するお市の怨嗟も、茶々に「自分は浅井の娘」という思いを増幅させていったのだと思います。その茶々が秀吉の側室になり、秀頼を生むという、皮肉な運命を歩むことになるのですが。

 

 淀殿にとって、秀吉に対する個人的な思いは複雑だったとは思いますが、浅井姫の聖地を、当時の最も豪華な美で荘厳することに対しては、何のためらいもなかったと思います。浅井の娘として、浅井の守り神である浅井姫を美しく飾り、お喜びいただき、その力で浅井の娘の子(秀頼)と、その将来を護っていただきたい。そんな思いが、竹生島に移築された建造物群に込められているのではないでしょうか。

 

02豪華に飾られた建物.JPG
豪華に飾られた建物

 

 竹生島から小谷城がよく見えます。

 

03竹生島から小谷城がよく見える.JPG
竹生島から小谷城がよく見える

 

 

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